ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

自分が2人いるんじゃないかと思う

最近よく思うことだ。

本当は自分は2人の人格が担ってるのではないかと。

結論から述べると、別に多重人格とかそういうものではない。

ただスイッチのようなものがあってそれが一方に入ってしまうと戻すのに大変な時間が必要になってしまう。どちらかと言うと躁鬱に近いのではないだろうか。ただ、鬱が無い時があるため、どちらが躁でどちらが鬱なのかよくわからない。

2つの人格はわかりやすくいうと脳内の天使と悪魔のようなものだ。

正確には天使と悪魔ではなく、理性と欲と表現した方が正しい。

ただやっかいなのは、理性のスイッチが入ってる時は脳内に天使と悪魔(的な自分)が居座り、あーだこーだとうるさいのだが、一度欲のスイッチが入ってしまうと理性は全て死に絶えたかのように音沙汰が無くなり、脳が喋ることもなくなる。

必要なことも何もかも忘れる(もしくは頑なに拒否、逃避する)が故に、欲に任せるのは楽ではあるのだが、理性に戻った時に人生に絶望してしまうのは避けられない。

特に問題なのは、欲のスイッチが入っている時はその異常性に気付きつつも対処出来ないことだろう。全て拒否してシャットダウンしてしまうので嫌な事(人生に必要な事)は気にならない。故に体への感覚が鈍くなり、空腹感も必要最低限になったり清潔への関心を失ったりする。

理性のスイッチが入っている時は、最低限人間らしい行動は行えるが心は病みやすく脆弱だ。

嫌なことに向き合う時間なのだから当たり前かもしれない。

欲が死んだらいいのに。

理性のスイッチが入ってる時は完全には感情や欲は消えないし、むしろそれらが強い時さえある。

なんのために欲のスイッチがあるのか全く必要性を感じない。

ただ私の心が弱いからか?

ストレスへの対抗力が弱すぎる

本当に何故なんだろうな

躁の日

昔ほど病むことはなくなった。

だから落ちて落ちて落ちまくることはないけど、なんの意味もいらいらしてどうしようもなくなることはまだある。

かと思えばなんの意味もなく機嫌のいい時もある。

今は多分躁。

全然眠くないし、いろんなことをやりたい気持ちがいっぱい、食欲が止まらなくて、やらなきゃいけないことはやんなくても大丈夫だという謎の自信がある。

だめだな、と思う。でもどうしようもないのも事実。

きっとお薬もらえるほどではない。安定しない睡眠習慣による自律神経の乱れのせいもある。

難しいな、でもどうでもいいなと思ってしまう。

明日はゆったりした服を着て出かけよう、部屋のゴミも出そう。それで少し落ち着けたら、いいな。

カウンセリングに行った方がいいのはわかる。でも何を相談すればいいのかわからない。何かに困ってるわけじゃ、無いからね。

いや困ってるけど気にならないから相談にならない、が正しいか。

もう朝も5時半だ。

空が明るい。

くそだるのはなし

クソめんどくさくて関係切りたい人間がいるのに、その周りの友人複数人とも関係が深いばかりに関係が切れないのちょ〜〜ぜつだるいよね〜!!!!

関係切りたいのに切れないのがだるい!

切るならその辺ごと切ることになるのがうざいな〜笑

そいつ切ってその周りも切れば良いだけの話だけど、なんで私の方から諦めて切りたくない友人とも切らなあかんくなるん?笑になる

キレそ〜www

私がコミュニティを壊したくないって思えるくらいまともな人間で良かったなあ?

スクールカウンセラーに通い始めた

昔からずっと気になってはいたのだ。

学校の隅に佇むその存在に。

まだこのブログを始める前、始めたての頃、何度行こうと悩んだことか。

無料だし、心理士さんはちゃんとしているらしかったから、行って損はなかったはずだ。

でも、入るところを誰かに見られたら?守秘義務があるのはわかっている上で何か親に伝わったら?(これは一時期親がスクールカウンセリングに行っており、その心理士さんに一度おいでと言われていた為)

そう思うと足は向かなかった。

そんな自分がなぜ今回通い始めたのか。

勿論、当時の場所では無くなったことがひとつめ。

流石に自分がやばいと思ったからというのがふたつめ。

そしてこれが大きかったのだが、現在コロナ対応で電話でのカウンセリングが可能だったこと。行こうと思った時、辛いと思った時すぐ話を聞いてもらえたのがありがたかった。

実際初めていってみて悪いことはなかった。

無かったどころか、表面的な辛かったねという言葉で涙が止まらなくなったほど、良い結果を齎すことが出来たと言えるだろう。

ずっとかけられたかった言葉がすぐに手に入った。

深夜、やっとの思いで自殺相談センターにコールしてみて繋がりません、と言われた時の絶望が報われた気さえした。

…まぁ、それはそれとして。

さて今回で何度目だったか、4回目だったな。

4回目にして言われた言葉は、改めて心療内科を受診してみたらどう?との言葉だった。

なんだか難儀な話である。

2,3年前受診してみて、あなたは薬の治療は必要ありません、ちょっとグレーですよねと突っぱねられて、すごすごと帰り、そうか私は結局は大袈裟な一般人だったとかと納得したのに。

今更という気も、仮にこれから投薬治療をすることになって病院通いになったとして親がどう思うかという気も、して。

だったらなんであの時もっとちゃんと言ってくれなかったんだという怒りもあり。

ま、再診してないからまだ予想、思惑の域を越えませんけどね。

元気な時は問題ないんだ。

崩れるときに崩れてしまうだけで。

でもそんなの普通の人は全部そうなんじゃないのか?

私だけ頼っていいのか?甘えじゃないのか?

わからなかった。

私は何も頑張ってないから

まとまらないな、ごめん

「死にたい」の口癖は「死にたい」じゃ無かった話

死にたいが口癖になってからもう何年が経ったか。

 何か嫌な事があったり自己嫌悪に陥ったりするとすぐに死にたいと口走ってしまう。

テストや嫌な授業直前だとかそういうわかりやすい場面で、軽い口調なら友人の前でも言うことはあるが、大抵の場合は誰に向けるでもなく1人で小さく呟くことがほとんどだ。

「死にたい」という言葉自体自分自身に向けるものであるから当然なのかもしれない。

 さて、その死にたいの口癖なのだが、私のそれは死にたい訳ではないなとふと気がついた。

他人の文章とかブログでは、「死にたいの真意は生きたいなんです!」とかなんとか言ってるのを見かけるが、私が言いたいのはそう言うことではない。

 勉強したくないの「やりたくない」とか、嫌な事柄から「逃避したい」とか、そういったネガティヴな物事に対する感情を表す時に「死にたい」を安易に使ってしまっていたのだ。

 頭では「やりたくない」とか「逃避したい」と思ってるはずでも口に出してしまうと、口に出した「死にたい」が真意のように思えてくる。

言霊という言葉があるが、口に出して知らず知らずのうちに自分に暗示をかけているのと一緒なんじゃないかと感じたのだ。

最近ようやく気が付いたのだが、私は何かを説明するのが苦手で、中でも自分の感情を言語化するのが他人より不得意らしい。

衝動的な感情を行動にして表出することはあっても、冷静に分析して、的確に自分の気持ちを言葉にして誰かに伝えるということをおそろかにしていたから当然の結果だろう。 

 言葉が先か、感情が先か。そんな文章を国語の授業で読んだ覚えがある。

SNSで簡単な言葉を無責任に放っているうちに、意味を重視した言葉を忘れ、失っていってしまった気がする。

私が長らく本を読んでいないというところも大きいだろう。

そうやってなにかを、他人を、自分を、感情を表す言葉がどんどん見つからなくなっていって、最初は狭義の意味で使っていた「死にたい」がいつのまにか広義の意味での「死にたい」になっていた。

…という話。

昔はもっと気が病んでいて本当に死にたかったのが、最近はもう何事にも結構諦めがついてあんまりメンタルがリアリティのある死に向かってないというのもあると思う。

だから、これからは「やりたくない」は「やりたくない」、「逃げたい」は「逃げたい」と言うように気をつけなきゃなぁ

死にたくなった

生まれつきか、運命か。

酷い境遇で生まれてしまってもなお頑張る人、人生に希望を見出せる人、そんな人たちを見ると死にたくなるんだ。

久しぶりな死にたいという重い感情、鮮明な感覚。

昨日今日のことだってまともに出来やしなかったのに

この先だって何がしたくて生きるとか、希望とかそんなものどこにも無いのに。

何で生きてるんだろう

周りの人は皆、人生を諦めてないと言っていた。

人生に希望を見出していると言っていた。

ぼんやりと死ぬ気もないくせに、死にだけ向かっているのは私だけだった。

わからなかった。

私だけ身体は異常なほど健康だったし、家庭環境だって1番恵まれていた。

どうしてだろう。

どうしてこんな人間が1番、出来損ないなんだろう。

どうしてこんな人間が1番、死にたがっているのだろう。

きっと何もかもが健全なのにおかしい人間の研究が進んでなくて、現代の科学ではちゃんとした説明がつかないだけだと信じて、

私自身のパーソナリティがただ壊滅的なだけだと信じたくなくて

過ごすしかないのだ。

どうしてだって私は自殺ができない。

勇気も、自殺に足る理由も。

錠剤一粒で死ねる世の中ならとっくに死んでるんだ。

ストゼロを備蓄しておいてよかった

狂って、寝てしまおう。

まともに生きる理由

学校なんてどうでもいいし

課題溜まりまくってるし

私の人生だって正直どうでもいいんだけど、

でも、

あいつと一緒に

横並びで卒業したいから。

勉強する理由なんて、

そんな邪な、どうでもいい理由でも良いのかもしれない。

元気がない

いつのまにか1週間が過ぎていて。

また、"出来なかった"が増えていく。

寝ても何も解決なんかしてなくて

でも寝る以外何も出来なくて。

もう半年、友人の顔を見てない。

思い出せるのは写真で見た顔だけ。

また、外に出れるようになったら、

絶対にカウンセリングに行こう。

中学生になるまで、

"寂しい"という気持ちがわからなかった。

今でもハッキリとは理解していない。

寂しさは、掴み所のない感情だと思う。

なんとなく元気がなくて、

理由をあれやこれやと浮かべても

しっくりこなかった時、

消去法で、あぁこれが寂しさなのかもしれないと

推察することしかできない。

今日、私は、

何故元気じゃないのかわからない。

勝手に見た夢で勝手に傷つく

夢。

今日は友人が出てきていた。

何故か2人で小さな箱のアイドルのライブに行っていて、

対バン形式だった為か、ステージが2つあったからか、丁度シンデレラ発掘、みたいな若い私服のアイドルの卵の子たちが公開オーディションを受けていた。

友人は見にきたアイドルよりもそっちの方が気になるみたいだった。

特になにもなく結果発表を迎えようとした時、彼女の携帯にメールが来る。『私を買わないで』

私にはなんの意味もわからなかったが、彼女は焦ってステージの方に視線を移し目的のものが見つからないと思うと走って外へ出て行った。

この時、さっきのオーディションに、私の知らない彼女の友達がいるのだとようやく気づいた。

普段こんなに焦ることのない彼女の様子から見て、アイドルの卵の友達さんは自殺でもするんじゃないかという勢いだった。

結局。彼女の勘違いで、なんなら友達さんはグランプリを受賞するのですが。

夢の中の私は、

私は。

いつも助けを求めているのに、こんなに本気になってくれたことのない友人の態度を見て勝手に傷つくのでした。

「わたしってその程度だったのかあ」

知ってたことの再確認、夢の中で何度も死ぬ私。

勝手に見た夢で勝手に傷ついて。

彼女のせいで傷ついたけど彼女はなんにも悪くなくて…

夢は、ほとんど現実と変わらない影響力を持っているらしいとどこかで聞いた。

幸せな夢だけ見ていたい。

ずっと。