ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

スクールカウンセラーに通い始めた

昔からずっと気になってはいたのだ。

学校の隅に佇むその存在に。

まだこのブログを始める前、始めたての頃、何度行こうと悩んだことか。

無料だし、心理士さんはちゃんとしているらしかったから、行って損はなかったはずだ。

でも、入るところを誰かに見られたら?守秘義務があるのはわかっている上で何か親に伝わったら?(これは一時期親がスクールカウンセリングに行っており、その心理士さんに一度おいでと言われていた為)

そう思うと足は向かなかった。

そんな自分がなぜ今回通い始めたのか。

勿論、当時の場所では無くなったことがひとつめ。

流石に自分がやばいと思ったからというのがふたつめ。

そしてこれが大きかったのだが、現在コロナ対応で電話でのカウンセリングが可能だったこと。行こうと思った時、辛いと思った時すぐ話を聞いてもらえたのがありがたかった。

実際初めていってみて悪いことはなかった。

無かったどころか、表面的な辛かったねという言葉で涙が止まらなくなったほど、良い結果を齎すことが出来たと言えるだろう。

ずっとかけられたかった言葉がすぐに手に入った。

深夜、やっとの思いで自殺相談センターにコールしてみて繋がりません、と言われた時の絶望が報われた気さえした。

…まぁ、それはそれとして。

さて今回で何度目だったか、4回目だったな。

4回目にして言われた言葉は、改めて心療内科を受診してみたらどう?との言葉だった。

なんだか難儀な話である。

2,3年前受診してみて、あなたは薬の治療は必要ありません、ちょっとグレーですよねと突っぱねられて、すごすごと帰り、そうか私は結局は大袈裟な一般人だったとかと納得したのに。

今更という気も、仮にこれから投薬治療をすることになって病院通いになったとして親がどう思うかという気も、して。

だったらなんであの時もっとちゃんと言ってくれなかったんだという怒りもあり。

ま、再診してないからまだ予想、思惑の域を越えませんけどね。

元気な時は問題ないんだ。

崩れるときに崩れてしまうだけで。

でもそんなの普通の人は全部そうなんじゃないのか?

私だけ頼っていいのか?甘えじゃないのか?

わからなかった。

私は何も頑張ってないから

まとまらないな、ごめん