ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

理由のない生きづらさ

なんでこんなに生きづらいんだろう

よくわかんないけど、しんどくて

よくわかんないけど、いらいらする

お腹空いてるわけでも、睡眠が足りてないわけでも無いし

体の疲れはまぁ多少あるかなという程度で

いつも通り進路だとか勉強面の悩みは尽きないけれど逃避することで保ってるし

人間関係の悩みも今は特別無い

なにがわたしをしんどくするんだろう

どうしたら解放されるんだろう

なんだかめちゃくちゃに死にたい気分で

つらい

ただただ

わけもなく、つらい

理由が無いと解決法もなくて"死にたい"しか言えない

死にたい……

この生きづらさは発達のせいでしょうか

ぶちこわされた週末

せっかく楽しくふわふわ過ごしてたのに

週末の最後の最後で壊されやがった

世の中で一番関わりたく無い人に

個人的に公にリアルとは分けてたアカウントをバレてしまった

気持ち悪い

死ぬほど気持ち悪い

ストレスしかない

殺す

死ね

今すぐ死ね

体調が崩れた

頭が痛い

胃が痛い

たまらない胸焼けがする

あぁ

本当に死んでくれ

今日はちょっとだけいい日だった

久しぶりに会った女の子は

少しばかり髪が伸びていて

目の前で揺れる丸いポニーテールは

私の気をひくには十分だった


席替えはやはり憂鬱な結果となってしまう運命だったけれども


まだ先のことは考えないでおいて。



久しぶりに吸った女の子の香りは

諦めようという決意も簡単に揺らぐようなものだったけれど


きっとこのままのほうがいい



例えこれが間違った決意だったとしても

夏休みの終わり

泣ける

めっちゃ泣ける

全く宿題の終わってない夏休み

あぁつらい

何も考えてないのにぼたぼた涙が出てくる

これだから夏は。


夏が終わって

学校が始まるのが問題なのではなくて

改めて同級生との差を目に焼き付けさせられ

改めて先生に呆れられ

課題の催促をされる

嫌いな同級生とまた1学期同じ部屋に過ごさなければならない

そういった二学期の始まりが嫌いなだけなんだ


うあぁしにたい

9月1日に学生の自殺者が一番多いってのも頷ける

やるきのない夏休み

今年に入ったくらいから急に頭痛持ちになった

自律神経が更に狂ったのか

まぁその辺はわかんないけど。

痛いけど、耐えられないほどではない頭痛ってなんとなく薬飲んだら負けみたいな意地があって

数時間してやっと飲む

んで飲むと結構楽になるから、薬ってすげーなって思う。

あーなんか熱出てきた。

夏バテだな。

これだから夏は嫌いなんだ。

読書感想文の締め切りはあと1週間だし

図書館で借りた本はあと2日で返さないとダメだし。

あぁムカつく

“過保護のカホコ”と発達障害


今日も死にたい皆様こんにちは。ただのJKです。

死にたくない皆様は元気でいいと思います。こちらもこんにちは。



さて今回は題名の通り、「“過保護のカホコ”と発達障害」です。

端的にいうと“過保護のカホコ”に対するhateです。


hateと言っても、1話を見て気分が悪くなりそれからは無条件に目に入るCMしか見てない程度の、意見をはっきり言えるような立場ではないのですが。



私がそんな発達障害に詳しいとかいう訳では無いし、そもそも検査にすら行ってない(行けてない)ADD未満の私がいうのもなんですが、“過保護のカホコ”というドラマの危うさを僭越ながら自己満足ブログにしたためさせていただきたいと思います。


※私自身その気があるので発達障害の事を「個性」だとか甘えたこと言ってない事にはご了承ください。





カホコは知的障害的だなと本当に見てて思ってしまいました。



見た方はわかると思うのですが、

自分の欲求が通らないとなると黙って相手が折れるまで待とうとしたり、親に対して連絡もせず深夜までバイト()して疲れて朝まで寝たり、CMでちらっと見たシーンでは子供じみた癇癪のおこし方で飛び出したり…etc……。

そして女優さんが凄く幼く演じられているのも拍車がかかって、

「幼さを理由とした常識の無さ」が、知的に問題があるようなキャラクターに見えるんですよね。


言葉の皮肉をうまく受け取れないという部分ではASP的なのかなと思ったり。


いや、まぁそういう“世間を知らない甘えた”キャラクターなんでしょうけど……





でも問題はカホコというキャラクターではないんです。

私の考える問題は、
いわゆる発達障害が理由なのにもかかわらず、
親の教育の失敗が原因で、カホコという“常識も世間も知らない甘えて育った人間”を作ってしまった
ように見えてしまうことです。


発達障害という存在自体もあまり知らないような視聴者が、現実の知的障害の方を見て、「親の教育不足」「本人の甘え」だと捉えることを危惧しています。



(良い意味で)健常者とは違う種類の生き物であるのにも関わらず、健常者と同じフィールドに立たせて、あれも違う!これも違う!変な出来損ない!って指を刺されるのはおかしくないですか?

現実は割とそんな感じですが、やっと発達障害の存在が認知されて来たのにまた同じフィールドに引きずり出されるのは理不尽極まりないです。




また、“過保護のカホコ”という“健常者”の例を見る事で、おそらく一番苦しくなるのは現実のグレーゾーンの方です。
「(健常者の)カホコほど変じゃないし、こいつも(健常者の)出来損ないだろ。」と思われてしまいます。

これには、視聴者側の《ドラマや映画の中には明記されない限り、“自分達と同じ健常者”しかいないと思い込んでること》が理由になって来ます。


言われてみれば、心当たりありませんか?


普段、殆どの健常者の方は違和感こそある場合があったとしても、他人を健常者としてしか見てません。

また、ドラマや映画はフィクションだという一応の区切りはついているからこそ、ドラマや映画の変な人は健常者であると感じるのではないでしょうか。


どんどん歪んできましたね。




今回は例にあげさせてもらいましたが、何も“過保護のカホコ”だけが悪いわけじゃないんです。
ただ単純に最近そういうドラマが多いと感じます。
もしかしたら私の知識が追いついただけで昔からあったのかもしれません。

その辺の真偽は不明ですが、問題にしなければならないのは事実でしょう。




そもそも漫画的脚本をドラマにしようとするのが大方間違いなのです。(カホコはオリジナル脚本ですが)

ドラマにしてもピッタリ合う漫画もあるでしょうが、特に多くのギャグ漫画の場合、
登場人物を生身の人間にする事で
“やっている行動”と“現実”との歪みが出て来ます。


漫画的な行動なのに、やけに現実味が出てしまう。
漫画では笑って終わる話も、実写にすると、私達が生きている現実がひしひしと近づき、違和感を感じる。


何かで見た例なのですが、
「いっけな〜い☆遅刻遅刻!」と言ってパンを咥えて走る女子学生を漫画で見ても、「王道だなw」みたいな感じで終わりますが、
生身の人間が「いっけな〜い☆遅刻遅刻!」と言ってパンを咥えていたら、ドン引きしますよね。


そういう事です。


こういった歪みのないドラマが見たいですね。




ということで。
マスコミには本当に気を付けてもらいたいですね。こういう危うさがある事を自覚してないのでしょうか?
…まぁ首相の声を加工し印象操作を行う人達に何を言っても無駄ですかね…。

承認欲求と“不必要になりたい”

さて…夏休みですね。

ちょいと閲覧数が増えたのはそのせいかな。


残念ながらもうあまり百合話をするつもりはないので期待しないでね。


遠距離だった元彼を吹っ切るのに1年かかったので、近距離の今回だと多分3年くらいかかるんじゃないかな。

という事で出来るだけ考えない、友達として接するという事が今年の目標。




…はい、ということで今回はメンヘラにありがちな承認欲求の話。

(厳密には多分メンヘラじゃないんだけど便宜上わたしはメンヘラってことにしてください)


わたしはほぼ常に、生きてるだけで誰かに認められたい。愛されたい。という欲求に塗れています。(知ってるかと思いますがこれを他者承認といいます)

自己否定感の強さから生まれるこういった承認欲求のせいで、何かに(特に人に)依存しやすく、依存しまくってうざがられたりするんですね。


しかし最近、その反対である“期待されたくない。どうでもいいと思ってほしい”という欲求も同時に存在することに気づきました。


何故こういう感情が存在するのかというと、

「死にたい」→

「でも迷惑をかけたくない。私が死んだ事で誰かに責任感を持って欲しくない。今のままじゃ死ねない。」→

「誰も必要としない存在なら死んでも良い」→

「期待されたくない。必要とされなくない。(あわよくば消えたい)」


と言った感じです。



でも深層心理には生きたい欲求があるので、「とりあえず死ねないし生きるしかねぇ。」となる。

しかし自分自身を愛せない分、生きる為には誰かに愛してもらわないと生きていけない。(他者承認)


するとそこで生まれる強い承認欲求!!

でも誰からにも絶対的には必要とされてない!!

止まらない承認欲求!!

満たされない心!!

死にたい!!


…とループしていく。


めちゃくちゃ矛盾に満ちているのがお分かりいただけると思います。



生きる為には愛され足りなくて

死ぬ為には必要とされ過ぎた。


簡潔にいうとこんな感じでしょうか。


必要とされていると考える事自体傲慢かもしれませんね。

でも私が死んだ後に母親が責められて病まれるのは嫌だしめんどくさいので、それくらいでちょうどいいと思います。


うーん、「必要とされ過ぎる」というより「死んだら生きてる時よりも迷惑をかける」の方がしっくり来るかもしれません。




自己承認を満たせばほぼ解決する事は理解してるんですけど、どうやっても自分が自分自身に対して有益なものだと思えないんですよね。

自分自身、私に期待も必要も感じていないので。

毎日、貴重な地球の酸素と資源を貪り、親の金をドブに流すよりかは、やっぱ死んだ方がマシですね。

う〜〜ん死にたい!!