私はどうして不登校にならなかったのか
不登校になりたかった、て話どこでしたっけなぁ。
探しても見つからなかったから、2つ前の"病気になりたい"でそれとなく書いたのがそれだったかもしれない。
心療内科行ったとき、遅刻癖の話になって、母はこう言ったんだ
「不登校にはならなかったんですけど……」
その瞬間、
あぁそれは間違いだよと言いたくなったが、比較的落ち着いていた日だったから飲み込んでしまった。
不登校には"ならなかった"のではなく、不登校に"なれなかった"だけなのだ。
だって、体は動くから。
卒業はちゃんとしないと、ただでさえゴミなのにもういよいよ生きる資格がなくなるから。
頑張り屋さんじゃないから、限界まで溜め込めないし。
でも、限界の手前の手前の手前までチクチクと溜まってはいる。
だから遅刻ばっかり。
遅刻だって、しすぎると卒業出来ないのに。
だから、せめて計算しているんだけど、
「どれだけ遅刻できるか計算しているんです」
「…それは_賢いですね」
ですって。
私のせめての限界パラメータを数値化して、わかりやすくした上で、最低限は頑張ろうという気持ちなのに、それもなんだか非難されている。
あぁそうか……あれは非難されていたのか……
それに、母親はしんどさにあまり理解がないと思う。
彼女もまたどこか発達のある人だから。
朝、風邪っぽい時も、37°C代なら解熱剤飲まされて2時間遅れほどで行かされるし、
38°C代でも1日寝てガンガンに解熱剤飲まされて、身体はまだほの怠いのに熱はないから次の日は行かされる。
朝37°Cあるかないかの微熱(私は既に風邪だなと思っていた)で、PL飲まされて、そのまま学校行って、昼前に死ぬほど寒気がして、保健室行ってもまだ熱はないから(上がり途中なので)毛布借りてしんどくて授業中ひたすら寝て(いつも寝てるから誰にも心配なんかされないし)、これはもう熱あるなと思ったから昼休みに保健室行って39°Cあって、初めての早退をしたこともあった。
しんどいと訴えても、行かされる経験がたくさんあった。
だから私は不登校になりたいと言っても、早く行け早く行けと急かされてしんどくなるだけだと思った。
遅刻してる時だっていつもそうだった。遅刻を許してくれることなんてなかった。
不登校になれるなら、なりたかったさ。