ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

人類はいつ幸せだったのか

よく、Twitterをする。

別に好きでも嫌いでもなく、気がまぎれるから。

そんな私は、身内とか色んな人の表垢をフォローしてるだけの、TLに幸せだけが流れるようにしたTwitterのアカウントだけしか持ってない。

精神衛生的にそれが良かったから。

でも、今日はちょっと違って、いつもやってるソシャゲが荒れてて、ソシャゲの愚痴垢がTLに流れてきた。

多くの愚痴垢のツイートは伏せ字などが施され、一般的に検索するだけだと出てこないように努力されている。

だから、愚痴垢というものに触れてこなかった私は"単なるアンチがまた匿名でなんかやってるよ"くらいにしか思っていなかった。

どんな頓珍漢な事を言っているのかと思い、覗いてみたら、至極真っ当な意見がほとんどで(原因としてはソシャゲの運営が酷すぎるせい)、ただのエアプアンチでなく1ファンだった。(アンチほどそのものに詳しいというのはわかるけど、このソシャゲ自体ちょっと特殊なのでそうではないです)

でももっと驚いたのはそのような愚痴垢が1つや2つというレベルでなく数十、数百単位で存在していたこと。

そしてそういうのは大抵匿名で、表垢で言うと運営信者なフォロワー等から叩かれたりするからだという。

真っ当な意見も信者の同調圧力からねじ伏せられてしまう怖さ、そして最近よく感じる"明るい事しか言ってはいけない"みたいな圧力がかかっているなと思う。

"明るい事しか言ってはいけない"というのは学校だとか友人間の暗黙のルールなだけかもしれないけれど…

例を挙げると、人に対して愚痴を言うのは相手の精神をすり減らすし自分の印象も悪くなるので全部自分の中に押し込んで受け入れろ、みたいなもの。ほんとはもっといい例あると思うけど今は思いつかないや。

話を戻すと。

愚痴垢の存在を知って色々見てみると、驚くほどの社会の闇が広がっていた。

全く知らなかったわけではない。表の垢に流れてくる社会の闇ツイートなんていくらでもある。

でも、愚痴垢等で拡散される"それ"は比にならない程残酷だった。

良く言えば、こういう愚痴垢さん達が検索除けしたり、表垢の人がなにかのまぐれで残酷なツイートを見てしまっても知らぬふりをした(せざるを得なかった)、住み分けの成功故なのかもしれない

でも、世の中には知らないことがありふれている事や、想像以上に貧富の差は広がっている事実、(世間的な)勝ち組と負け組のコミュニティは断絶している現実は、酷く生々しく救いようがなかった。

現代人は酷く不幸に見えた。

無論、現代人だけではない。男尊女卑や(家庭内に限らずとも)暴力や勝ち組負け組のグループ分けは昔からある。

昔はもっと酷かった、という意見は散々耳にした。

同時に、近代批判も嫌ほど目にした。

中世あたりの事は詳しくないが、現代で言う田舎のようなコミュニティが広がっていたのなら、地主や王族、少なくとも平民を中心としたコミュニティに入れなかった人達は想像を絶する徹底的な排除を強いられてきたのだろう。

もっと遡って原始時代はどうだったのだろう。

野生動物のドキュメンタリーなんかを見るとよくわかるが、野生社会でも、のろまなやつが強い奴から虐められるのは当たり前だ。

そこにどんなに小さくとも"社会"がある限り、上があり下がある。

人類はいつ幸せだったのか。

人間はいつ幸せだったのか。

全員が全員、平等で不幸の度合いが一緒なんて事は無くて、敗者が努力や金でステータスを得て勝者になる事はあっても、"敗者"に当てはまるステータスを持つものは一生負け組になる。

一度負け組になると挽回は非常に難しく、どんどん敗者の泥沼に浸かっていく。

社会に救いも幸せもない。

'勝者がルールを造った社会"だから、勝者が幸せになるのも当たり前なんだろうな。

幸せなんてガチャの当たりのような、儚く空虚な幻想でしか無いのだろう。