ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

死にたいからブログを書く

死にたいからブログを書く。

ある種の気休めだ

今一番死んで欲しい人は

死ぬほど嫌いなクラスメイトと担任。

次点で、インキャなのにキャラ変してインスタにsnow自撮りとかあげてウェイ気取ってる奴。

その次は“私頑張ってます”アピールが滲み出てて人のこと見下してくる奴。

そのまた次は私。

案外そこまで死にたくないのかもしれない

スマホ依存症

私は歴としたスマホ依存症である

朝はスマホを見て目を覚まし、ご飯を食べながらスマホをし、スマホをしながら眠りにつく

そこまでしてスマホで何がしたいのかと言うと

そのほとんどの時間はTwitterに費やされている。

もっと具体的に言うと週17時間〜20時間

1日あたり約2.4〜3時間

実にスマホをしている時間の25〜30%を占める。

そんなにTwitterでなにをしているのか。

結論から言うと、何もしていない。

ただとりとめのない情報を上から下に流し続けるだけの単純作業

私はこの行動が、自分自身ながらに不思議であった。

何故意味もなく、楽しくもないのに、ただただTwitterをし続けるのか。

何度やめようと思ってもやめることができないのか。

今のところの結論は、

私が何もしていない時間、空想に浸る時間にはほぼ毎回“私は要らない”“死にたい”と言う言葉がでてくるから、それを回避するために何か情報を頭に詰め込んでいるのではないだろうか、ということである。

文字はそこにあるだけで無意識に頭の中で読み上げるらしい。

だから何も考えずに済むのだろう。

答えはまだぼんやりとしていてそれだけではないことは確かだと思う。

だがしかし、理由のほとんどを占めるなのではないだろうか。

星の見えない夜空を1人見て、そう思った。

たいちょう不良

朝の頻繁な遅刻を怒られた

1限からはケロッとした顔で受けてるから

怠けだとかに見えるんだろうなぁと思う。

親に言ってないにしても、親からも指摘されるのは

ちょっとキツいなぁ。

彼らが僕の不調に気づいたことなんて一度もないのだけれど

体の表面に顕在化された不調を、体調不調というのなら、

精神から滲み出る不調も体調不調であっていいはずなのに

誰も許してはくれない。

精神に穴がぽつぽつ空いて

そこから程近い身体をも蝕み

体にぶつぶつと瘤が膨らんで

日常的に痛むようになってからでは

明らかに遅いと思うのだ。

遅刻という手を持って

自滅しないように

精一杯のコントロールをしているつもりなのだけど

(言わば既に遅刻をするしかない状況に立っているのだが)

それは許されていないのだなぁ

許されなくても、

せめて授業は受けなければならないと教室に走るから、

生きていたいから、

"遅刻"という手を使った

半端な気休めしか得られず、

また、

遅刻をしないという選択もずいぶん無理難題なものだ

あまりの眠さに支離滅裂を極めている。

あぁ寝よう

多い垢

ついったーの

アカウント切り替え画面。

スクロールしないと全部見れないほど

アカウントが多いのは

寂しさの現れなんじゃないかって

思うの。

どこかで愛されても

飽きられたらおしまい

だからまた別の顔を作る。

でも結局どこにも愛されてない

悲しい

理由のない生きづらさ

なんでこんなに生きづらいんだろう

よくわかんないけど、しんどくて

よくわかんないけど、いらいらする

お腹空いてるわけでも、睡眠が足りてないわけでも無いし

体の疲れはまぁ多少あるかなという程度で

いつも通り進路だとか勉強面の悩みは尽きないけれど逃避することで保ってるし

人間関係の悩みも今は特別無い

なにがわたしをしんどくするんだろう

どうしたら解放されるんだろう

なんだかめちゃくちゃに死にたい気分で

つらい

ただただ

わけもなく、つらい

理由が無いと解決法もなくて"死にたい"しか言えない

死にたい……

この生きづらさは発達のせいでしょうか

ぶちこわされた週末

せっかく楽しくふわふわ過ごしてたのに

週末の最後の最後で壊されやがった

世の中で一番関わりたく無い人に

個人的に公にリアルとは分けてたアカウントをバレてしまった

気持ち悪い

死ぬほど気持ち悪い

ストレスしかない

殺す

死ね

今すぐ死ね

体調が崩れた

頭が痛い

胃が痛い

たまらない胸焼けがする

あぁ

本当に死んでくれ

仲良しな夢を見た

あぁしんどい


楽しい夢を見てしまったばかりに


現実とのギャップに打ちのめされている。





ずっと夢の中で生きていたい。





どうせミサイルで死ぬのなら

一緒に死ねると思うと

少し気が楽になった