ただの日常

とりとめのないただの日常の吐露

承認欲求と“不必要になりたい”

さて…夏休みですね。

ちょいと閲覧数が増えたのはそのせいかな。


残念ながらもうあまり百合話をするつもりはないので期待しないでね。


遠距離だった元彼を吹っ切るのに1年かかったので、近距離の今回だと多分3年くらいかかるんじゃないかな。

という事で出来るだけ考えない、友達として接するという事が今年の目標。




…はい、ということで今回はメンヘラにありがちな承認欲求の話。

(厳密には多分メンヘラじゃないんだけど便宜上わたしはメンヘラってことにしてください)


わたしはほぼ常に、生きてるだけで誰かに認められたい。愛されたい。という欲求に塗れています。(知ってるかと思いますがこれを他者承認といいます)

自己否定感の強さから生まれるこういった承認欲求のせいで、何かに(特に人に)依存しやすく、依存しまくってうざがられたりするんですね。


しかし最近、その反対である“期待されたくない。どうでもいいと思ってほしい”という欲求も同時に存在することに気づきました。


何故こういう感情が存在するのかというと、

「死にたい」→

「でも迷惑をかけたくない。私が死んだ事で誰かに責任感を持って欲しくない。今のままじゃ死ねない。」→

「誰も必要としない存在なら死んでも良い」→

「期待されたくない。必要とされなくない。(あわよくば消えたい)」


と言った感じです。



でも深層心理には生きたい欲求があるので、「とりあえず死ねないし生きるしかねぇ。」となる。

しかし自分自身を愛せない分、生きる為には誰かに愛してもらわないと生きていけない。(他者承認)


するとそこで生まれる強い承認欲求!!

でも誰からにも絶対的には必要とされてない!!

止まらない承認欲求!!

満たされない心!!

死にたい!!


…とループしていく。


めちゃくちゃ矛盾に満ちているのがお分かりいただけると思います。



生きる為には愛され足りなくて

死ぬ為には必要とされ過ぎた。


簡潔にいうとこんな感じでしょうか。


必要とされていると考える事自体傲慢かもしれませんね。

でも私が死んだ後に母親が責められて病まれるのは嫌だしめんどくさいので、それくらいでちょうどいいと思います。


うーん、「必要とされ過ぎる」というより「死んだら生きてる時よりも迷惑をかける」の方がしっくり来るかもしれません。




自己承認を満たせばほぼ解決する事は理解してるんですけど、どうやっても自分が自分自身に対して有益なものだと思えないんですよね。

自分自身、私に期待も必要も感じていないので。

毎日、貴重な地球の酸素と資源を貪り、親の金をドブに流すよりかは、やっぱ死んだ方がマシですね。

う〜〜ん死にたい!!



自殺のはなし

自殺し損なったの人のブログしかこの世になくて


自殺して死んだ人のブログはこの世にないんだよね。


Amazonで洗濯機を買おうと思って、


性能とか機能をじろじろ見ただけで使ってない人のレビューはいっぱいあるのに


実際に使ってみた使用感が載ってるレビューがない感じ。


私が知りたいのはその使用感なんだけどなぁ




女の子の話

多分きっと唯一私が必要とされてるのはこの女の子との話だろう。


だから一応するけど、あまり期待して欲しくない。


あぁ確かに両想いだったんだろうけどな、でもね、


やっぱあの子は異性愛者だったんだよ。


このふわふわとした関係は

半年持たなかった。


わたしばっか引きずっちゃって馬鹿みたい。


いや確かに誤魔化し誤魔化し生きてきて

何も言わない方が良いって思ってたのは私だけど


でも相手だって一緒だったんだよ


私が一押ししたら変わってたかな


でも元カノとかそういう関係になっちゃうのよくわかんないし


振り返って見たら、これって友達とそう変わらなくて肩書きだけの付き合いになるんじゃないかとか


始めてしまったが故にある終わりを見つけてしまうのではないかとか


そういう不安は数えきれなくて。



今じゃ彼女にとって私は"仲良い友達"より下手したらワンランクツーランク下の友達になっちゃったかもしれない


あぁしんどいなぁ



でも今の自分を擁護するために言うと


これは多分正解だったんだよ。


元々goodendはなくて、


そこにはただtureendがあっただけなんだ。



彼女はたまたま…きっと落ち込んでる時期で、なんか妙に好いてきた奴が、話のジャンルも合うし、まぁなかなか楽しいなと思って、勘違いしただけだったんだ。


私はけっこう、まぁまぁ、かなり、

ずっと好きだったんだけどね


友達と思えば押し込める…たぶん。


…いやそもそも最初はそうだったんだけど、そう思って押し込んできたけど


こじ開けてきたのは…あっちなんだよな…


あぁごめんねわたしがメンヘラだったのがよくなった



前の想い人を忘れるのに2年かかる女だったのが、きっとあなたの誤算でしょう…




否定されてしまったと思ってしまったから、もうあなたが嫌いです。


冷たい態度のあなたが嫌いです。


でもどうしようもなく好きなんですよ。


あぁ…これは嘘だから気にしないで欲しい…




私の何がダメだったのかなぁ

…全部かな

6/21

とくに書くこともなく、非生産的ブログはあまりしたくないのだが


まぁそもそもブログを書くという行為自体既に非生産的なのでまぁよいかという気持ちになった。byただのJK



体が重くて動かないなぁというか、


どちらかというと動かしたくないな、という感じで


ご飯は作ってくれるから一応食べるけど


なんか別に私はご飯が食べたかったわけじゃないなぁと思い


ゲームも毎秒触ってるTwitterも、


なんか特にやりたくないなという感じで


どうでもいいし、死にたいなぁとふわふわしながら


なんかそういう感じのサイトやらなんやら


ネットサーフィンしてたわけですが。



結局やはり全部ADDのせいなのではないかと、思うわけでありますよ。


症状片っ端から検索しても、ADHDADHDADHD………


病院行って診断でも受けて薬欲しい、切実に。


大学生になって一人暮らしするとかして


まとまったお金と住所を持ったら


診断を受けに行くと、もう2年前くらいから思案している。



でもまぁ


自殺啓発サイトとか見て


冷静になれるので


多分しばらくはしなないかな笑

絶望と諦めと無気力

絶望の先に諦めがあって、

 

諦めのの先に無気力がある。

 

絶望、といってもそんなおおげさなものでなくてもよくて

自分を含めた誰かに対する失望とか、なにをどうやってもままならないみたいなそういうもののことだ。

 

中学に入って"根本的な私の何か"が全てひっくり返ってしまってから、

ずっと、まぁ、無気力を塗り重ねた人生を歩んでいるのだが

 

無気力の先にあるものは無だ。

 

あるいは空気のようにまるで掴めない劣等感だとか虚無感のようなものかもしれない。

 

ただ進むことのない人生を。

 

沼の上を歩こうとしてずぶずぶと沈んでいくような、そんな感覚。

 

 

あまりの無気力さに、この土日をベット上でひたすらスマートフォンをして時間を溶かしてしまった。

 

…まぁでもスマホできてるだけまだマシかもしれないね

蜉蝣

種類にもよるが1日程度で死んでしまうらしい蜉蝣。


生きることままならず交尾して死ぬ


何の為に子孫を残し続けるのか?

その短く儚い生命は何のためにあるのか?


どうも人間は自分を基準として考える故、我々の平均寿命およそ80歳と比べて1日を短いと感じてしまうが、

しかし蜉蝣にとってはそれが全てなので、長い長い人生だと感じているのではないだろうか。


蜉蝣が人間は80年も生きると知った日には、

“そんな無駄に長い人生送って何が楽しいのか”と笑われてしまうかもしれない。



6/13

さて。

ここに新規の書き込みをしたということはつまり、私の中であの女の子と何かがあったということなのであるが。


まぁ書くと長くなるので割愛すると、



惚気ブログをしようと思ったら、


どうやら相手の方は一時的な気まぐれだったようで


今となっては私のことなど何も思ってないようであるので


仲良くお友達としてよろしくしようと思ったのだが


どうやら友達としてさえ、あの女の子の中の私は小さいようだ。ということである。


お昼はいつも一緒だし放課後もほぼ毎日2時間ほど話してるしSNSでも仲良くしているのに。



ほぼ確実に1日にあの女の子と一緒にいる時間は私が1番長いのに…


いやスマホには負けているだろうけど(苦笑)




同じ班になるとか、ならないとかまぁそういう話なのであるが


てっきり私はその子とは確定で一緒になるものだと思っていたのに(2ヶ月前に一緒になろうと誘ってはいる)


私が人生で一番嫌いな奴(その女の子が好き)に女の子は誘われたらしく


おそらく女の子は私に誘われたことを忘れていて、断る理由もないので承認したのだろう。


人生で一番嫌いな奴(以下hateからとってH氏)は、自分の意見が通らないとなると(特にその女の子関連で)死ぬほど不機嫌になるので、それも一因としてあるのかもしれない。



ここで悪いのは改めて誘わなかった自分であるというのは重々理解している。


しかし誘われたことを忘れているのもどうかとは思う上、その女の子から私を誘うこともなかったことである。

(そもそも私は基本的に友達がいないので、他に班を組む人がいないことなど容易に想像出来たであろう)



毎日一番話してるのに、


そんなに私は小さかったのかと。


失望やら絶望やら。



元々受け身体質であることは知っていたし(私だって受け身体質なのだから理由にされたくないのだが)、忘れっぽいのも知っているが。


それでも私は悲しくて、怒っていて、呆れていて。


私が悪いのだが。それは勿論変わらないとしても。


やりきれなさでいっぱいなのである。



(追記:女の子はH氏の事を嫌いであると明言している。誘われても断らなかったりするのは完全に女の子の優しさである。…そんな優しさは、私としては全く理解できるものではないのだが)



嫌いな人とは

"嫌いな人"と一口に言っても色々なタイプがあると思う。

同族嫌悪であったり、1から10まで理解出来ない人であったり。

自分自身何故かはわからないが死ぬほど嫌いな奴がいる。

不機嫌ならその怒りを大声でぶちまけ、理不尽なことで怒り、機嫌が良くても大声で歌ったり喋ったり。

私以外にも嫌っている人はいないのだろうかと不思議なくらいなのだが、さてはてクラスとしてはムードメーカーとして受け入れられているらしい。
全く理解できない。

関わらなければいい

それさえ出来たなら良かっただろう。

同じクラスというものは不便で、声は聞こえるやら、目は立体物として認識するやら。

ここまで嫌いになれた人物は初めてであるのでどうにも何が嫌であるのかがわからない。

いかにも子供っぽい人が嫌いなのであろうか?

奴はADHD的であるので、グレーゾーンな自分と同族と思ってしまうが故の同族嫌悪か?

悪いところだけな人は世の中にいないはずなのに、全てが嫌いな人などどうしたら出来るのだろうか。

もう1年ほど考えている