ただの日常

とりとめのないただの日常です

助けを求めるのが下手っぴ

最近、いや別に最近でもないかもしれないが、よく思う。

自分は助けを求めるのが下手だなぁと。

そもそも自分、真面目で忙しい中でも何かを両立させる方じゃないし。

毎日、特に何かしているわけではないけどいっぱいいっぱいなだけで。

真面目、というよりヘラヘラして生きてるように見えるタイプだし。

わたしがそんなんだから、真面目に心配してくれる友人とか、いないし。

愚痴って、他人の気力削るものだから、私なんかがしない方がいいものだし…

他人の心配してないから、自分の心配されないっていうのは本当かもしれない。

でも、他人の心配できるほど、自分に余裕なんかとっくになくなってるんだよ。

Twitterでつらい、吐きそう……といえば、誰かに大丈夫?電話しようかとリプされるなんてさ。

"彼女"可愛くて真面目だけど、すこしめんどくさいやつじゃないの?

Twitterのかまってちゃんアピだよ?

誰だってみんな新生活しんどいんだよ?

なのになんで"彼女"は許されるんだろう。

顔の可愛さなのかな。キャラクターなのかな。

わたし、これまでにないくらい、がんばってるけど、

とうてい、"かのじょ"には およばないって ことなのかしら。

グレーゾーン

発達も

鬱も

hsp(あると信じてないけども)も

頭の悪さも

毒親

全部グレーゾーン

グレーが集まったら濃いグレーになるはずなのに、黒にはならないから

「自分でなんとかできる具合です」

なんて

そんな風に見えてしまうんだろう

全部白とは言わないから、

いっそ

全部黒だったなら、

障害者手帳で生きていけたのかな。

なんでグレーは白とみなされて生きなきゃいけないのかな。

グレーはグレーらしく、黒になれたり白になれたりすればいいのにな。

私の意思なんて、何にも関係ない

根拠のない自信は必要だよね

根拠のない自信とか、他人より優れてると疑わない頭の悪さって、必要だよね。

自己肯定感がない私は、それらが持てないから、なににも踏み出せない。

子供の頃はあったはずなのに、なんで無くなっちゃったんだろう?

私の親は毒親なのか、考える時がある。

友人達の家庭のように肉体的なDVは振るわないし、日常的にあからさまに人格否定したりはしないし、家庭環境も悪くないし、人並みにお金はあって、本当に必要なら必要なものは買ってくれるし。

でもさ、

育児失敗の産業廃棄物を生成してる時点で、何か本当はおかしかったんじゃないかと、考えてしまうんだよ。

何が、

何がダメだったんだろうなぁ…………………

なんで、わかりやすい毒親じゃないんだろうなぁ……

私がダメなだけなのかなぁ…………

親のせいにしたいだけ、なのかなぁ……………

……………………………………………………。

ADHDにマニュアル車は向いてない

ただでさえマルチタスクが苦手なのに、右足左足右手左手周囲の確認ハンドル操作がいっぺんに必要なマニュアル車は絶対ADHDに向いてない。

集中力が必要だから、事故を防ぐという点で、むしろADHDにはマニュアル車が向いているというものをどこかで読んだが、それはそもそもラクラク免許を取れる人であるからであり、クラッチ操作がままならないようではまず免許が取れないのである。

私自身若干ASDの側面を持つため、手先の不器用さが前面に出ているのかもしれない。

でもあのアルティメットマルチタスク車は絶対、絶対に向いてない。

仮免までの道はまだまだ遠い。

死ぬ義務と死ぬ権利の話

少し前に死ぬ義務と死ぬ権利の話を出したので、せっかくなのでちゃんと書いてみようと思う。


そもそも、私には死ぬ義務はあるが、死ぬ権利は無い。

なぜならば、"死んでもいいような人間"ではあるが、"死んでもしょうがない"人間では無いからだ。


"死んでもいいような人間" つまり "死に値する人間" とは、留年したりだとか失業したりだとかパワハラセクハラ野郎だとかそういう、人間として劣っているクズのことだ。

"死に値する人間"には死ぬ義務がある。これには本人の意思は全く関係しない。

ただ、周りから、社会から不必要とされている。それだけで死ぬ義務が生じる。



対して、死ぬ権利を持つ人間とは、真面目故に鬱病にかかった人だとか、いじめだとかパワハラの被害者だとか、身近な者を失った人だとか、つまり、真っ当な人間であるのに死にたくてたまらない人間のことだ。

もちろん、死ぬ"権利"なので、使うか使わないかは自由。一般的に、まともに生きている人々はこちらの死ぬ権利だけを有していると言えるだろう。




例えば自殺した場合。

死ぬ権利を持つ人間は、仕事場で人手が減ることになり迷惑をかけることになったとしても、「あの人、鬱病だったんだって。」「そっか…それなら仕方ないよね」と言われるような人。死んでも惜しまれるような人。


対して死ぬ義務を持つ人間は、同じ様な場面で「死んでからも迷惑かけやがってクソ死ね!…あ死んでるんだったか笑」と言われるような人。重荷が減った、とホッとされてしまうような人。




個人的に、障害者には両方当てはまると思う。

例えば、ADHDでも薬を飲んで色々ちゃんとメモしたりして真っ当に生きようという気持ちのある人は死ぬ権利のある人。

ADHDで更に反省を生かす事なくダラダラ生きているような奴(私とか)は死ぬ義務のある人。


もっと具体例を出すと、パラリンピック選手とか、障害者として積極的に活動して偏見を無くそうとしている人ら(よくバリバラとかに出てる人達)とかブログでこうやったら健常者に近づけると生活の工夫を広めてる人達は死ぬ権利の方。

無職ニートだったり平気で遅刻してくるやつだったり障害に甘えてるのは死ぬ義務の方。

遅刻一つでも権利の方は、めちゃめちゃに謝ってくるのに対して、義務の方はごめんごめんって言う感じかな。




世の中にあるADHD当事者ブログとかに障害者は生きてていいって書いてあるのは、全部、死ぬ権利を持つ人間に向けて言っているのだと私は思っている。

そもそも当事者ブログを書いている人が死ぬ権利(というか生きる権利)を持っているのだから、その人達は、障害者は死ぬ権利を持ってる様な人しかいないというある種の幻想を有している。

だから、落ち込まないで!あなたは頑張ってる!生きてていいのよ!とか言えるのである。



話は冒頭に戻る。

私は、死ぬ義務を持つが死ぬ権利を持たない。

死ぬべきなのに死んだらいけないのだ。

そう簡単に死に逃げさせてはくれない。

葬式費用も伊達じゃ無いのだ。(といっても、生きていてこの先も人に迷惑かけたり、国からもらう保険料だったり、親に生活費を出してもらうことだったり、地球から1人分の酸素をクズに与えなければならぬということを考えると安いのだが…)




私の思想は歪んでいるだろうか。

本当に私だけなのだろうか。



このような考え方は、誰も言語化しないだけで世の中に蔓延っているように思う。無意識下に。


そんなことないよって言う人は、ホームレスに向けてそんなことが言えるのだろうか。

彼らのことを無意識に"死ぬ義務のある人間"だと思っていないか?

ネットで池沼だとかアスペという言葉が罵声として一般的に使われていることも、"障害者は死ぬべき"と世間が考えているという一つの証拠だろう。



ただ、私もその世の中の思想を持つ1人なだけなのだ。

独り言

心理検査の結果、1ヶ月半は過ぎたし、お盆とか台風入れても1ヶ月は過ぎたのにまだ来ない。

もやもや…

1ヶ月で無理なら最初から1ヶ月って言うなよ…最初から1ヶ月半〜2ヶ月はかかりますって言っとけや

重要性が無いから後回しにされてたりする?

はぁ…

超ヘビーなのが来る心療内科で、私なんかどうでもいい壁のシミなのはわかってるけどさぁ

発達じゃ無いならなんなのって話で。

単なる人格?

人格障害

脳腫瘍?

AC?

何が原因で何が問題なのかもう全部ドロドロになってわかんなくなっちゃったけど、ドロドロの塊が存在している事には変わりはなくて。

保健の授業で、ヤク防止の為の水谷先生とかいう人のビデオを見せられた。

そいつの話す人物は、全部ドロドロのグチョグチョな闇の世界に突っ込んだ成れの果ての人間の話で、それらの当事者にはLDがあったんじゃないかとかまぁ多少は思ったりしたけれど、その本人の性質を上回るあまりに酷い家庭環境がそこには絶対あった。

いわゆるスタート地点の格差。

私より圧倒的に酷い。比べようもなく。

でも、そいつの話を聞くたびに、シンナーはやめようとか円光はやっぱ危ねぇよな、とか思うんじゃなくて、ただ、"お前はそれだけの高さに生まれた恵まれた子なのにどうしようもない社会の必要としない屑になったのか。恵まれてる癖に死にたいなんてふざけてんのか。お前に死ぬ資格はない。"って責められてる気がした。

ずっと。

いつでも死ねばいいやって気持ちで生きていて、だからこそクソみたいに自由と権利を貪る生き方をしてきたわけだけども、私に死ぬ権利は無いと思いつつ何処かである気がしていたんだよね。だから、死を逃げ道にふらふら生きていた。

結局まとめてない死ぬ義務と権利の話がこれに関係あるんだけど。まぁ多分そのうち書くとして(他力本願)

でも、全部真正面から言い返せない超正論で否定された。

それは、私に死ねない生き方を強制し始める。

"ちゃんと"学校に行くのは当たり前、

"ちゃんと"勉強するのは受験生だし当たり前、

"ちゃんと"計画立ててキビキビ動き、

"ちゃんと"自己を愛し他人を尊重し、

"ちゃんと"積極性を持って嫌な事は自ら進んでやり、

"ちゃんと"あらゆる全ての期限を守る。

これを出来てない人は屑、害児、穀潰し、資源と酸素の無駄。

私にはどれも出来ない。

だから自殺なんて許されないけど、既に色々なものは与えられていたのにも関わらずこんな救いようの無い屑に育った塵に、貸す手は誰も持たない。

死ぬ事も生きる事も許されない人間の出来上がり。

ちゃんちゃん。

死ぬ事を前提とした生き方は危うくて脆くて、それは"生き方"と言っていいものではないようなものだけれども、そこに救いがあるのは確かで。

死ぬ事を禁じられれば、そこに救いはなくなる。

例え、砂でできた城であったとしても___

早くしんじゃいたい

最近、別にしんどくないのに五億年ぶりに皮膚に刃を当ててたし、何が原因でどういう気持ちでも無かったのに涙が出て来るし

やっぱ何も考えずにぼんやり適当にしてるだけなのに、結局見て見ぬ振りをしてるだけで、生きてるだけで傷ついてる気がするよ

普通の人は死にたいなんて言わないんだろ

なぁ

P.S.これを書いた次の日に結果が出たっていう電話が来ました。私の怨念が届いたか?

人類はいつ幸せだったのか

よく、Twitterをする。

別に好きでも嫌いでもなく、気がまぎれるから。

そんな私は、身内とか色んな人の表垢をフォローしてるだけの、TLに幸せだけが流れるようにしたTwitterのアカウントだけしか持ってない。

精神衛生的にそれが良かったから。

でも、今日はちょっと違って、いつもやってるソシャゲが荒れてて、ソシャゲの愚痴垢がTLに流れてきた。

多くの愚痴垢のツイートは伏せ字などが施され、一般的に検索するだけだと出てこないように努力されている。

だから、愚痴垢というものに触れてこなかった私は"単なるアンチがまた匿名でなんかやってるよ"くらいにしか思っていなかった。

どんな頓珍漢な事を言っているのかと思い、覗いてみたら、至極真っ当な意見がほとんどで(原因としてはソシャゲの運営が酷すぎるせい)、ただのエアプアンチでなく1ファンだった。(アンチほどそのものに詳しいというのはわかるけど、このソシャゲ自体ちょっと特殊なのでそうではないです)

でももっと驚いたのはそのような愚痴垢が1つや2つというレベルでなく数十、数百単位で存在していたこと。

そしてそういうのは大抵匿名で、表垢で言うと運営信者なフォロワー等から叩かれたりするからだという。

真っ当な意見も信者の同調圧力からねじ伏せられてしまう怖さ、そして最近よく感じる"明るい事しか言ってはいけない"みたいな圧力がかかっているなと思う。

"明るい事しか言ってはいけない"というのは学校だとか友人間の暗黙のルールなだけかもしれないけれど…

例を挙げると、人に対して愚痴を言うのは相手の精神をすり減らすし自分の印象も悪くなるので全部自分の中に押し込んで受け入れろ、みたいなもの。ほんとはもっといい例あると思うけど今は思いつかないや。

話を戻すと。

愚痴垢の存在を知って色々見てみると、驚くほどの社会の闇が広がっていた。

全く知らなかったわけではない。表の垢に流れてくる社会の闇ツイートなんていくらでもある。

でも、愚痴垢等で拡散される"それ"は比にならない程残酷だった。

良く言えば、こういう愚痴垢さん達が検索除けしたり、表垢の人がなにかのまぐれで残酷なツイートを見てしまっても知らぬふりをした(せざるを得なかった)、住み分けの成功故なのかもしれない

でも、世の中には知らないことがありふれている事や、想像以上に貧富の差は広がっている事実、(世間的な)勝ち組と負け組のコミュニティは断絶している現実は、酷く生々しく救いようがなかった。

現代人は酷く不幸に見えた。

無論、現代人だけではない。男尊女卑や(家庭内に限らずとも)暴力や勝ち組負け組のグループ分けは昔からある。

昔はもっと酷かった、という意見は散々耳にした。

同時に、近代批判も嫌ほど目にした。

中世あたりの事は詳しくないが、現代で言う田舎のようなコミュニティが広がっていたのなら、地主や王族、少なくとも平民を中心としたコミュニティに入れなかった人達は想像を絶する徹底的な排除を強いられてきたのだろう。

もっと遡って原始時代はどうだったのだろう。

野生動物のドキュメンタリーなんかを見るとよくわかるが、野生社会でも、のろまなやつが強い奴から虐められるのは当たり前だ。

そこにどんなに小さくとも"社会"がある限り、上があり下がある。

人類はいつ幸せだったのか。

人間はいつ幸せだったのか。

全員が全員、平等で不幸の度合いが一緒なんて事は無くて、敗者が努力や金でステータスを得て勝者になる事はあっても、"敗者"に当てはまるステータスを持つものは一生負け組になる。

一度負け組になると挽回は非常に難しく、どんどん敗者の泥沼に浸かっていく。

社会に救いも幸せもない。

'勝者がルールを造った社会"だから、勝者が幸せになるのも当たり前なんだろうな。

幸せなんてガチャの当たりのような、儚く空虚な幻想でしか無いのだろう。

心理検査受けてきた

7月の頭に予約とって、本当はその時点でキャンセルで空いたとこ(9月末)にやる予定が、前日になって"明日キャンセルで空いたので来れますか?"との連絡が。


というわけで急遽受けに行くことに。

で、受けてきた。


内容は知らずに受けた方が良いみたいなのでそういう話はしません。知りたかったら、多分調べれば出てきます。

ちなみに、こういう検査とかカウンセラーっぽいものは完全に初めてです。



心理士の方は30代?くらいのお姉さん。めちゃくちゃ優しい。

どんだけコミュ障発動しても、話す内容を考えるのに時間かけても急かしたりは一切しないから安心感がすごかった。

元々こういう仕事の人達はしないだろうっていうのがわかってるからっていうのはあると思う。いつもだったら間を作らないようにしなきゃって思ってパッてその場限りの言葉とかありきたりな差し障りのない言葉をよく使うけど、それがなくなってた。



んで、問題解いてる間は一問解けた毎に、相槌と(同じ形式の問題でも)その問題の指示を言ってくれる。

相槌があるのは、私が何かを言えば相手も反応してくれるっていう安心感がすごい。

わざわざ毎回問題の指示を出してくれるのは、多分わかんない人もいるからなんだろうなと思う。でも、これさっきと一緒で大丈夫かな…?っていう思考分の無駄な負担がなくなる。めちゃくちゃありがたい。


間違いが多いものは、そっかそっか難しいよね〜と同意してくれるし、良かったものは凄いね〜〜!こういうの得意?って褒めてくれる。

途中何回か泣きそうになった。やってる事はいわゆる赤ちゃんへの接し方と大体同じなんだけど、無条件の肯定てやっぱりすごいなって思うし、何より一切馬鹿にされた感じがないのが凄い。

いつもの私だったら、どうせ本当は思ってないんだろうなぁっていうマイナス思考が働くのにそれがなかった。

まぁ多分その日は体調も良かったし元気な日だったっていうのはあるかもしれないけど…

流石プロ。話術がすごい。


話すスピードがすごくゆっくりで、最初はちょっと遅いなって思ったけど途中から全く気にならなくなったし、何度もいうけど急かされない安心感がある。

あとは多分、考えるスピードが遅い人の為にわかりやすいようにっていう配慮かな。



それと、椅子に座って話すけど、その距離が遠かった。

どれくらいかっていうと、2m×45cmくらいある机の反対側に座ってたくらい。もっとあったかも?

パーソナルスペースの配慮っぽいかな、自閉とかのため?あと、手元の用紙に何書いてるかわかんないようにするためかな。(不透明なでかい卓上衝立もある)

私はパーソナルスペースがやや狭いっぽい(母親とか友達とかに対して私はそう思う)ので、座った時はもっと近くでいいのにとも思った。


んで、反対側とは書いたけど厳密には反対側ではない。

正確には斜め45°くらい。私は正面を向いて喋って、お姉さんは横を向いて話す感じ。図にするとこんな感じ

[    机    ]私

   姉


真横でも対岸でもなく斜め向きっていうのは、今思うとなるほどって感じがする。

横だと目線合わないし近いかも知れなくて、対岸だとまっすぐ目が合うから敵対的になってしまうからかな。まぁ多分こういう座る位置に対する人の心理も調べれば出てくる。



目が合う、で思い出したけど、お姉さんが喋る時は常に私の方を見ていてくれたなぁ。これも多分、注意がこっちに向いているよって合図。私は別にそこまでじゃないから問題なかったんだと思うけど、試験者の注意がそれてたら、お話聞いてもらえますか?とか言ってたのかもね。そこは想像の範囲ですが…

でも逆に、口頭でやるものじゃなくて、手元に集中して何かをやるようなものに対しては全く見てこなかった。

最大限集中出来る環境を作ってくれる。

なお、終わった時は終わりました、とか、はい、とか言えば問題なし。(って最初に言ってくれる)



そしてちょっと世間話というか、悩み相談的な話もしてくれるんだけど、すごい素直に話せた。

私がそうしたいと思って話してたっていうのはあるかも知れないけど、そういう環境をつくってくれたのはめちゃくちゃに大きい。すごい…

でもまぁ、最近はそういう気分じゃなかったからっていうのはあるけど、生きる意味がないとかいつ死のうと構わないとか流石にそこまで正直な事は言えなかったけど…そういう話にならなかったしね。

もしそれで診断受けて見てくださいって言われて、親まで知れ渡るのが怖くて。………………なんか親にばっかビクビクしてんなぁ。人からのイメージが崩れるのが怖いんだろうな…





備忘録なのでザッとだけど。


結論としては心理士のお姉さんは優しくて安心感があって、この人が詐欺師だったから勝てないと思った。


あ、あと男の人じゃないっていうのは大きかったな。多分。



何度でも話に行きたいなって思う。

もちろんお金はかかるけど。


私はどうして不登校にならなかったのか

不登校になりたかった、て話どこでしたっけなぁ。

探しても見つからなかったから、2つ前の"病気になりたい"でそれとなく書いたのがそれだったかもしれない。


心療内科行ったとき、遅刻癖の話になって、母はこう言ったんだ

不登校にはならなかったんですけど……」


その瞬間、

あぁそれは間違いだよと言いたくなったが、比較的落ち着いていた日だったから飲み込んでしまった。

不登校には"ならなかった"のではなく、不登校に"なれなかった"だけなのだ。


だって、体は動くから。


卒業はちゃんとしないと、ただでさえゴミなのにもういよいよ生きる資格がなくなるから。

頑張り屋さんじゃないから、限界まで溜め込めないし。

でも、限界の手前の手前の手前までチクチクと溜まってはいる。

だから遅刻ばっかり。

遅刻だって、しすぎると卒業出来ないのに。

だから、せめて計算しているんだけど、


「どれだけ遅刻できるか計算しているんです」

「…それは_賢いですね」


ですって。

私のせめての限界パラメータを数値化して、わかりやすくした上で、最低限は頑張ろうという気持ちなのに、それもなんだか非難されている。

あぁそうか……あれは非難されていたのか……


それに、母親はしんどさにあまり理解がないと思う。

彼女もまたどこか発達のある人だから。


朝、風邪っぽい時も、37°C代なら解熱剤飲まされて2時間遅れほどで行かされるし、

38°C代でも1日寝てガンガンに解熱剤飲まされて、身体はまだほの怠いのに熱はないから次の日は行かされる。

朝37°Cあるかないかの微熱(私は既に風邪だなと思っていた)で、PL飲まされて、そのまま学校行って、昼前に死ぬほど寒気がして、保健室行ってもまだ熱はないから(上がり途中なので)毛布借りてしんどくて授業中ひたすら寝て(いつも寝てるから誰にも心配なんかされないし)、これはもう熱あるなと思ったから昼休みに保健室行って39°Cあって、初めての早退をしたこともあった。

しんどいと訴えても、行かされる経験がたくさんあった。


だから私は不登校になりたいと言っても、早く行け早く行けと急かされてしんどくなるだけだと思った。


遅刻してる時だっていつもそうだった。遅刻を許してくれることなんてなかった。



不登校になれるなら、なりたかったさ。